2回にわたりお届けしてきたタムカイズムの@tamkaiさんの講座、大人のラクガキ講座。ラクガキの楽しさを伝えたい@tamkaiさんと、ラクガキがうまくかけるようになりたい明日やりますの@odaijiさんのお二人のお二人で運営されています。今回は舞台裏と懇親会の模様を。
やれるようになりたいことを、なりたいって言えるのっていいな
@tamkaiさん:ラクガキの楽しさを伝えたい
@odaijiさん :僕もラクガキがかけるようになりたいから、そういう講座やってよ
こんな会話からこの講座はスタートをしたそうです。今回は第2回目だったのですが、ステップゼロの第2回目。まだ試行錯誤なんですね。終止「僕は主催者側ですから」っておっしゃってみえた@odaijiさんですが、毎回講座を聴くことができるのはそれはもう主催者特権ですよね。うらやましいです。でも、10名以上の受付をやって、場所を抑えて、お互いの日にちの調整や講座の内容をどうしよう話を進めていくのは、とても骨が折れることです。
その骨折りがあったから僕は今回参加することができたのですが(重ね重ね、日曜日の開催、ありがとうございます)、それよりなにより、できるようになりたいなってことを口にできることっていいな、って思いました。僕、どうしても躊躇して言い出すのにすごい苦労しますもん。
でも、そういうことを伝えることができて、そして開催にこぎ着ける行動力って、やっぱりやれるようになりたいって気持ちが強いからこそ出てくるものだと思います。僕もそういうことが伝えられるようになりたいです(僕が言うと、なぜか角が立ってしまうケースが多々あって…)。
感動した立体的な顔の向き
僕は以前から写真が好きで、中学高校と写真を撮っていたんですが、本音を言うとたぶんどこかで絵がダメなら写真だって思っていたところがあるんです。
絵が苦手な最大な理由が立体的に描くことがどうしてもできなかった、ということなんです。絵を描くときに頭に思い浮かべる元の絵が、どうしても見たままそのままでしか書けないんです。
運転免許証のように、ホントに真っ正面から人の顔を描くことはたぶんできたのです。でも、あんなに真正面から顔を描くことなんてほとんどないし、ましてや表情に楽しさがない。少しだけ右斜めからとか、上を見上げたような顔を描こうとすると、もう頭がパニックでこれが人の顔なのかなんなのか、訳が分からなくなってしまうんです。
それを一気に解消してくれたのが上の写真。左側の顔のパターンに合わせて、右側の顔の向き。中心となる補助線を引いて、そのぶんだけパーツを動かすという説明なんですが、これがホントにわかることができてうれしかった。パターン化されているというと途端に芸術性(大げさですけど)を失うように聞こえますが、そうではないんです。
誰でもパターンはもってるよ
懇親会ではコミックばんちゃんの@yamakiyabaさんとお話していて、顔の向きのパターンのお話が感動したっていうことを伝えたら、絵がうまいといわれる人もみんなパターンをもってるものだよとおっしゃってみえて、とても安心しました。
絵がうまい人でも自分はヘタだって思ってるよ
これも@yamakiyabanさんがおっしゃってみえたのですが、絵がうまいうまいっていわれている人はみんな、自分はヘタだって思ってるよ、と。そんなまさかと思いましたが、逆にそれだけ向上心が強いということでもあって、今までヘタだからと思ってそこでやめてしまうのではなくて、そこからどうしよう?と考えるてまた線をひくことが、ラクガキがうまくなることなのかなと思いました。
ふとした瞬間のものの見方が変わった
先日、出先の休憩コーナーで帰り際に缶コーヒーを飲んでいたときに、全く意識してなかったんですが、気がついたら横から人を見ると肩から腕ってこんな感じなんだ、あぁこういうふうに体とバランスしてるんだ、って考えてました。考えていたというよりも、観察していたって言った方が正しいのかな。それはきっと、先日の記事で腕がダルいっていうのを絵にしてみたときに、体を横から見たときに腕と体の描き方が全然わからなくて何回も消しゴムで消してやり直したんですね。それがあったから、缶コーヒー飲みながらそういう観察ができてたんだなって思います。
写真でも同じことがいえると思うのですが、見るってことって圧倒的に大切なんですね。写真は見た全体をフレームに収めて自分がみえた色になるように光をあててやります。ラクガキはそれを線にしてやること。全体の印象から線の印象へ。
タムカイさんがおっしゃっていた、自信のある線と自信のない線。僕の自信のある線はどんな線なのかな。
家に帰って時間をみつけて、会社で行き詰まると裏紙なんかに、線をひいています(右手に筋肉つきそうっ!)。
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