都会に勤めていたときは、会社帰りにたまにだけ、ごく稀にだけ立ち寄ったバー。
そのお店のお酒が美味しいのかどうかはそこまで味がわかるわけではないが、このお店はよかったという基準はなぜかもっている。それは氷だ。
味もわからないくせに、カッコつけてお願いしたものはウィスキーのロック。ラフロイグがスキだ。あの強烈な香りが、お酒のことなど何もわからない若造には、妙に印象を焚きつける。
ヤッタッ!と思うお店では、ウィスキーのロックを注文した後、冷凍庫のアイスボックスからショベルで氷をすくう「ガサガサ」という音は聞こえてこない。
グラスの容積の大部分を占めるところに、丸い氷が鎮座している。氷の重さに負けて上に上がってきたウィスキーを、舐める程度にしか口にすることができない。だから、ゆっくりと時間が過ぎていく。飲み急ぐことはできないんだ。大きくて丸い氷は空気に触れる面積が小さいから、溶けるのが遅い。
そして溶けるのが遅いから、ウィスキーの味も変わらない。
氷が溶けて水で味がうすくならないから、飲み急ぐ必要も、ないんだ。ウィスキーの味が待っていてくれる。
氷を丸くすることは、骨の折れる仕事だと思う。
大きい四角い氷を、削りそびれないように、丁寧に、それも千枚通しのように細く先が尖ったアイスピックでつついて角を取っているんだ。
冷たい氷を左手に、ずっと氷を突っつくことなんて自分にはできないな、と思うから、バーテンダーさんをカッコイイと感じる(部分が多分にあると思う)。
氷は常温に置いておけば、いずれ溶けてなくなってしまう。大きく丸い氷になることで、氷が氷でいられる時間は長くなるが、最後はやはり溶けてなくなる。もちろん、なくなる瞬間まで飲み続けることはできなかった。
一方で、決して溶けてなくなることがない自分は何を恐れてか、誰かが丸い氷にしようとしているかもしれないけれど、なかなか角が落ちていかないものだ。
コメントを残す