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文字が書けないから、線をひいてみた

文字が書けないから、線をひいてみた

気分が落ち着かない出来事は、可能であれば避けたいものですが全てをそうすることはできません。人事を尽くして天命を待つとはいうものの、いつでも磐石な心で居続けることはなかなかできないことです。しかし、どこかで気持ちをポジティブへスイッチしなくてはいけません。いつまでも思うようにはならなかった天命に対して、ウダウダしていても何も生産は起こりません。

気分を新たに次のステージへ突き進むのは、突然そのようにできるものではありません。次のステージは間もなく始まりますが、また忙しい毎日が始まれば今感じている気分はどこかへ消え去るかもしれません。時間が問題を解決することはもちろんあります。時間に身をゆだねるだけでなく、なんとか自分の意思で気持ちを切り替えたい。いや、今の気持ちを少しでもいいから忘れ去りたいというのが本音かもしれません。

紙と鉛筆をとってみた

探さなくても言葉は次から次へと出てきます。ネガティブな言葉であれば、何も考えなくても地下水がわいてくるようにいくらでも出てきます。それは書き続けていればいずれネガティブな感情も尽き果てるかもしれませんが、どれだけの時間を要するのかを考えるといい時間の使い方とはあまり思えません。

ふと目をやると、テニスボールが転がっていました。最近友人に誘われて2回ほどやってみたテニス。家でラケットの扱い方でも練習するかと買ってきたテニスボール。

歪んでるけど、納得できたラクガキ

下手は承知で見比べてみましょう。どれだけ贔屓目に見ても、歪んでいます。潰れています。決して手の抜いたのではありません。一生懸命テニスボールをみましたし、一生懸命に線を引きました。並べてみればヘタクソなラクガキにみえるかもしれませんが、単独で見たらテニスボールのようには見えませんよね。

テニスボール

それでも、なんとなく完成したと思いました。なんだかトンがったところがありますが、それでもボクはテニスボールとして納得できました。

デッサンとしては不合格なんだろうけれど

見るからにうまく描けていないことはみればわかりますし、書きながら自分でもわかっています。それでも納得できた、納得というよりもどこかスッキリした気分になりました。なぜでしょう。イライラとしていた雑念が、線を一生懸命描く方よりも低くなっていったような気がします。

やりたいことがうまくいかない場合、うまくいかないことが逆にイライラを募ることが多々あります。その場合、集中力は欠けていくことが多いように感じます。このラクガキはうまくいっているとはとても思えませんが、それでも集中できたからヘタクソながらも集中できたような気がします。

そのように考えれば、下手だからやらないというのはおかしな話になってきます。それと同時に、イヤなことが起こっても楽しくすることができるような気すらしてきました。

楽しくすることが自分にはできるかもしれない。このように感じること自体が、すでに楽しいことです。

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