
僕は高校時代に山岳部というとても地味な部活に所属していて、夏休みには北アルプスや八ヶ岳に登ったりしていました。季節を問わず、山の天気は変化が激しく常に快晴に恵まれているわけではありません。どちらかといえば、カッパを着ながら雨の中をエッチラホッチラ登っていく方が印象が強いぐらいです。
山に登られる方には経験されたことがあるかもしれませんが、登り口で雨が降っていてもトコトコ登っていくうちに晴れ間が広がることがあります。そしてそこには一面の雲海が目を奪っていきます。これは決して雨がやんだのではなく、自分が雲の上にまで登ったから起る現象です。
月は自らが光源ではない
話はかわりますが、月は自らが光を発しているのではなく、太陽の光を反射してその美しいウサギの餅つきの姿を地球に届けてくれます。少しひねくれた言い方をすると、その美しさを自ら生み出すのではなく太陽の力に頼っていることになります。
先日8/11は満月だったのですが、天文学的にperigee full moonという、月の軌道が地球の重心にもっとも引かれるということで、普段の満月よりも明るく、そして大きく満月をみることができるのだそうです。残念ながら昨夜の名古屋は概ね雲に覆われ、お月見日和にはちょっと残念な天気ではあったのですが、それでも月の美しさと光の強さに心を打たれました。
1/10秒の早さでも、雲のうえから主張する月
1/10秒。それは早いのか遅いのかは絶対的なところはわかりません。イーチと数えているそれを10個に割った1つの時間なので、1/10秒という時間が経った今過ぎ去っていったということを認識するのは少なくとも僕には無理です。曇り空ながらも立ったそれだけの時間の間に、月はこれだけの明るさを私の目に届けてくれます。
1秒もあれば周囲をこれだけ明るくできる
こちらはほとんど時間差なく撮影した1秒間の時間の光を拾った写真です。 1秒、1/10秒の10倍の時間があれば、周囲をこんなに明るくすることができます。
雲を挟んだ舞台裏
山登りの話と月の話で何がなんだかわからなくなってしまいそうですが、ジメジメと気分を暗くする雨、そしてキレイな星空を覆ってしまう雲。今の自分が雲より上にいるのか下にいるのかは相対的なことで今の自分の居場所を否定するものではありません。雨が降っていても、雲が空を覆っていても今ある自分は誰に何といわれようと、今ある自分以外の何者でもありません。
自分のことを悪く言うように聞こえるときもあります。普通だと思ってやったことに罵声をあびることもあります。こういうときはなぜかしら空が暗くジメジメと雨が降っているときのように、そうされたことが自分をまとわれてしまいます。一方で、スカッと青空が広がり星がきらびやかに広がる日だってもちろんあるんです。僕たちはそれをあたりまえと考えてしまっていることが多く、天気のいい日のことは忘れがちです。
だけどそれをわけ隔てているものは雲で、その雲は全てを丸め込むほど大きな存在ではなくたまたま自分よりも高い場所に雲があっただけのことであって、気持ちのいい青空を、キレイな星を雲が飲み込んでしまうことではありません。
僕たちが地球から空を見上げるのとは逆に、空から自分たちが見られれば雲の手前が舞台の表で雲の下の地球上の僕たちが舞台裏になります。風に流され雲という舞台の幕が開く前に十分な準備をしていなければ、幕が開いてもいい演技はできません。太陽はいつでも強い光を放っていて、月の美しさも引き出しますが、天気が悪いときに太陽がいつもの明るさを放っていないわけでは決してありません。そういうふうに自分の立ち位置を見ることで、自分が自分に感じる気分を少し変えることができそうです。
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