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書き出したいけど、書き出せない その事実への不安

思いついたことはお気に入りのノートに書き留めておく。いつも目の前においてあって、作業の合間に手にとって安心する。その時にまた気になったことを思いつけば書き足しておく。書き足すことでもまた安心する。

この安心とは何だろう。

実際、ノートには殴り書き、走り書きがしてあるだけで、やらなくてはいけないことが多くなってきたときにはちょっと事柄を整理するといった感じで使っているだけで、そこに座右の銘が書かれているわけでもなければ、絶対的な必勝法が書かれているわけでもない。東大生のノートのようにキレイに書き上げているわけでもなく、いかにも勉強の効率悪かったでしょ?といわれそうなぐらい、雑多で脈略もなく書かれているだけだ。

ノートが手にとれないとき

ときどき起ることが、ノートを手にとる間もなく次から次へと何かが起るときだ。当然仕事中のことである。一仕事終わったらお客さんが来店された。お客さんが帰られたら、次のアポの時間が迫っていて、とりあえず客先に急いで向かう。戻ってきたら伝言メモの山。それの電話をかける間のなくかかってくる電話。 いわゆる、自分で自分のことをコントロールできなくなったとき、ノートが手にとれなくなるのだ。

それは百も承知だ

あぁ、今って俺、流されてるなぁ。それは理解している。わかってるんだ。流されているときにも思いつくことはいっぱいあって、それをノートに書いておきたい。その欲求はとても強い。それでも、スーパーカブで走っているときにノートは取れないし、お客さんと話をしているときに思いついた他のことを書くために、お客さんの目の前でノートを手にとるわけにはいかないんだ。

ノートが手にとれない、ノートに書きなぐれない不安

その場でノートに手が伸ばせない。そんなときはどうしても不安な気持ちになってしまうのだ。落ち着かない、といった方がよいかもしれない。地に足がつかない状態といったらいいのだろうか。流れてくるものに身を委ねながらもそれで本当にいいのか?とか、流れてきたものを書き留めておきたくても、もう次が流れてきて書き留めることができないことは、何事にも堪え難い恐怖を感じるのだ。

不安は引きずる

そしてこの状況の一番厄介なことは、その状態に一度陥るとその後も引きずることだ。飲まず食わずは実際あっても通勤の電車の中や家に帰ってきたときに、改めてノートを手にすればよいだけのことだが、実際にはこれができない。なぜだか理由はわからないが、あれだけ手にとりたかったノートに手が伸びないのだ。 なぜか不安は引きずってしまう。家に帰れば引きずる理由など何一つないのに、ただ不安なだけの状態がなぜか続いている。それは休日になっても同じで、休日だからこそやりたいことややらなくてはならないことにも手がつかなくなってしまう(もちろん、休日のこともノートに書き留めている)。

何もやらない

休日は、せっかく休日なんだからというちょっとした強迫観念があると思う。休日に何でボーッとしてるんだ?あれをやらなきゃいけないだろ?どこかでもう一人の僕がそうささやいているが、生身の僕が動くことができない。そしてそれにまた不安が募る。そんな休日はまっぴらゴメンだ。 しかし、この状態を解消するのはまた休日でしかできなく、体が動こうとするまで諦めて何もやらないことが一番だとこの連休に思った。部屋が片付いていなくてもいい、溜まりにたまった新聞が雪崩を起こしていてもいい。とにかくほかっておく。そうしたら今晩になって、ようやく動くことができるようになった。

今日よりいい明日を追い求めるより、楽しい時間を過ごすことよりも大切なことは、もっとずっと手前にある。それは今日よりいい明日を追い求めたいと思うようになるまで、自分が待つしかないようだ。

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