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【雑文】時間は川(仕事編)

【雑文】時間は川(仕事編)

幸いなことに、今の会社で、今の勤務先で僕は仕事を選ぶことが、たぶんできる。やりたいことはできるし、やりたいようにやれる。

一方で、やらなくてはならない仕事があって、それは得てしてとても残念な仕事で誰も関わりたくなく、だからとてもセンシティブな仕事である。対応にミスが許されず、一挙手一投足に気を使い、交渉経緯を歪みなく文章にする必要がある。詳細を関係部署へつぶさに報告をしなくてはならない。受働的な仕事はいつも1,000本ノックを受けているようなものだ。その途中で他のことはあまり考えることができない。それは集中しているようにもみえるが、しかし仕事はそれだけではないのだ。

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photo from http://www.flickr.com/photos/aigle_dore/

川の中でどうやって魚を捕るか

時間にも重力があると思う。ほかっておけば、どんどん過ぎていく。

やりたい仕事を選ぶことができる。川の中を泳いで好きなところへ行って、魚のいるところへ行って掴みとるもいい、川辺から魚のいるところへルアーを投げるでもいい。魚の捕まえ方は、自分が得意で好きな方法だけで捕まえればいい。ひょっとして網を投げて、一度にたくさんの魚を捕まえることもできるかもしれない。好きなところで、好きな方法で魚を釣る。つりが好きな人には最高の時間だろう。仕事も同じで、仕事が好きな人はそのように自分の得意な、好きな方法で仕事をやっているはずだ。目的は魚を捕まえること、やるべき仕事を達成することだ。

外道に悩まされる

川の釣りではあまり使わない言葉かもしれないが、目的以外の魚が釣れることを外道という。仕事にも外道がある。来てほしくない仕事だ。

外道だからといって、ぞんざいに扱っていいものではない。外道をつり上げてがっかりすることがあっても、その魚を捨ててはいけない。相手を傷つけてほったらかすことと同じだ。

仕事の外道も同じだ。関わりたくはないが、関わった以上はほったらかしてはいけない。傷口を広げてしまうからだ。仕事の外道をつり上げてしまったとき、本当につりたかった魚以上に丁寧に扱わなくてはいけない。

トラブルがいい例だ。残念ながら発生してしまったトラブル。なぜ自分がそれに気がついたか、遭遇したかはわからない。でも、トラブルは解決しなくてはいけない。魚ではなく、こちらは相手が人間だ。魚は口に針が刺さっても痛いとは言わないが、人はトラブルに関する苦痛を口にするし、相手はトラブルを収束したいと思っている。したいと思っているなんて生易しいものではない。お互いに収束させなければならないのだ。

そして、仕事の外道はセンシティブである。だから、好きな魚を釣り上げたときのように自分の納得している側面にだけ気を向けていればいいというものではない。それ以上に様々な面に気を配り、情報を送り、適切な対応が必要である。この外道に対応する事項は容赦なく流れてきて、気がついたらそれの対応だけで終わってしまうことが多々ある。

自分の意志で釣り場に留まり、好きな魚と外道とをうまくさばく

船に乗って川にいるとき、当然釣りにいい場所を選んでそこへ行く。しかし、釣りに熱中していたら川の流れに船が流されて、気がついたら違い場所にいることになってしまう。常に自分に最適だと思う場所を選んでそこに居続けるために船をこぎ続けなければならない。好きな魚が釣れたとき、動いてしまった船をこぐ手にも力が知らずうちに入るだろう。一方で外道が釣り上がったとき、たぶんそれの対応と落胆した気持ちで船をこぐ手にも力が入らない。それでも、自分がその釣りに最適だと思う場所に居続けるために、船はこがなくてはならないのだ。

それでも、自分の好みのポイントに居続けなければいけない

好きな魚が釣り上げられようと、外道をつり上げようと、その場所に居続けるためには船をこがなくてはいけない。何もしなければ川の流れに流されて船は川下へ流れてしまう。同時に時間も過ぎて行く。釣りができる時間は決まっている。夜暗くなってからの釣りもあるかもしれないが、それに必要な装備は持っていない。だから岸へ戻ることができるように、時間に限界がある。

時間だけはいつでも好みのポイントに居続けることはできない。止める術は誰も持っていないのだ。だから時間は限られている。

限られた時間の中で、どのようにすれば自分の好みのポイントに居続けることができるのだろうか。

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