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知らない分野の文章は、まるで異国語のようだ

知らない分野の文章は、まるで異国語のようだ

2年続けての日本人のノーベル賞受賞にわいている今日この頃。日本人として誇らしく、ちょっとはニュートリノのことを知ってみようかと本をいきなり手にしても、なにが書いてあるのか、なにをいっているのかさっぱりわからないだろう。たとえそれが、専門外の学生向けに書かれたブルーバックスだったとしても、_少なくともボクは_かなりあやしい。

10月に部署が変わり_いったい1年で何回変わればいいんだろう_、法律系の文章を読む機会が多くなった。いや、法律系というほど甘いものではない。完全に民法だし、会社法だし、破産法だし、とにかく法律を知ることに四苦八苦している。

難しさーその1

六法全書に書かれている法律そのもの文章が、まるっきり読めないのだ。

言い回し方ひとつとってもそうだ。読み慣れない言い回しは、頭の中で言葉が流動しない。だから同じところで足踏みしてしまって、全く先へ進むことができない。

難しさーその2

日常的に使う言葉が当然多くあるのだが、どうやら自分たちが日常的にその言葉を使っている意味とは若干異なるような印象がある。もっとも、日常的に解釈しているその言葉の意味が亜流であって、もともとは法律に書かれているところでの意味が本来なのかもしれない。

それにしたって、聞き慣れた言葉を聞き慣れたまま読み進めると、どうにも話がチグハグになってしまうし、下手したら真逆に解釈しかねない事態に陥りそうで怖い。

難しさーその3

どうやら法律関係には判例という法律解釈の一分野_というレベルに法律が読めていない_があって、判例という具体的な法律の使い方(?)が裁判所で言い渡されているわけだが、これが具体的すぎて話が整理できない。

今日も某大学の紀要に掲載された判例評釈_という、これも一分野のような気がするほど読めない_法律の使用例_という判例_にまで論説が付け加わると、もう頭の中がグシャグシャになってしまう。

難しさーその4

なんで法律の本の多くはとにかく言葉で説明するのに一生懸命で、図とかチャートのようにわかりやすく説明しているものが少ないんですか?

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毎日ごく自然と起きている事柄のほぼ全ては、遡ればどこかの法律がその根拠になっているはずだ_ろう_。犬も歩けば、法律にぶつかる、のようだ。現実に起きていることと、それの根拠としている法律とでは、まるで別ごとのように見えてきてしまう。なので、自分が今確認している法律が、本当にこの法律のこの部分を確認していること自体が正しいことなのか、それとも間違っているのかの察しがどうにもつかないことが、更に気をあせらせる。

◼︎

様々な知識を身につけるために、ボクらは多くの本を読む。そしてそれを実践的に使ってみたり、より知識を深めるために、更に原典にあたるように心がけている。

今回の場合、その原典にあたるのが法律なわけで、そこのところに首をつっこもうとするとどうにも壁が高くて逆に後ろず去りしてしまいそうだ。

こんなことではイカンイカン、と更に原典にあたるどころかもっと手前に戻ってきて入門書から入らないととても太刀打ちできそうにない。しかし残念なことに、本屋さんで「民法入門」のような本を手にしても、_少なくともボクには_全く入門になっていない。

いったいどこから法律に入っていけばいいのか。現状、八方塞がりである。

さて、どうしたものなのだろうか…。

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