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聞きたくない話

聞きたくない話

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聞いてみたい話があるかと問われれば、それはあるだろう。

誰からの話でとか特に何もなくても、今興味を持っていることは疑問に持っている話は誰から問わず聞いてみたいと思う。

逆に興味や関心はあるんだけれど、この人からはその話を聞きたくないなというケースはあるかと想像してみるが、当座そういうケースは思い当たらない。もちろん、とある人からは話を聞いたことがあるから、今度は違う人から聞いてみたいと思うとはあるだろうが、それがイコール聞いたことがある人からの話を聞きたくないにはならないと思う。

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翻って、聞きたくない話があるかと問われれば、それはあるにはあるが、ではいますぐ具体的にこの話だというものを挙げよと言われても答えに窮する。とある特定の人を指して、その人の話に単純に関心がない_持てない_ことは多々あるだろう。

しかし、それはその人を否定しているわけでは決してない。

例えば心霊現象好きな上司と飲みに行って、自分に心霊現象に全く関心がなければそこで繰り広げられる版画の話に自分の身体を練り込んでみることはなかなか難しい。

そういう類の話だ。

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ある特定な場面に限れば、聞きたくない話はすぐさまあげることが途端にできるようになる。

それはある人が話す、他人への批評_という言葉で前向きに捉えておこう_のお話だ。

確かに人には誰にでも改善した方がいい部分は必ずある。言われれば、確かにそうだなと共感する部分もある。

しかし、その部分だけを指し示してその人を避け_受け入れず_、ましてや排他的にその話を誰かにすることで、その話をする人はどんな利益を得るのだろう。

その話を聞いているこちら側に、どんな利益を提供したかったのだろう。

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1ミリにも満たない細いもので、目が粗く組まれたザルに水を通しても水は残らない。しかし、厳密には1ミリにも満たない細い線材の上に、それを水として認知するには困難なぐらいの水が、ちょっとした摩擦で残っていることは十分にあり得る。右から左へ聞き流した話だって、右から左へ流れるところのどこかで何かが引っかかっているかもしれない。

聞き流す頻度が高くなれば高くなるほど、そのひっかかりはきっと多くなるだろう。

そのひっかかりに対する違和感の蓄積は、何の利益を目的としているのかを考える以前に、蓄積する違和感自体が不利益を生み出しているのではないか。

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きっと日常会話なのだろうに、何をそんな利益があるとかないとか言ってるのか。そんなことを気にすること_気になること_自体が無駄なんじゃないのという考え方も当然あるだろう。

何も日常会話にもwin-winの法則を持ち出したいわけではない。

日常会話なんて、基本的にはdrawのようなものだろう。

だけどこの手の話はwin_なのか?_-loseの感じで、ひょっとしたらlostされている感じが腹の中に重たく残る。

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人の右から左へのフィルタは、どんな目の荒さをしているのかなんて、その時その時で変化する。

どんな線材でできているかもわからなくて、どんな摩擦で何がひっかかってしまうかは人にはわかりにくい。

今の自分は新しいことを覚えたり吸収したりすることがとても大切なことだから、ことさらそういう話にも過剰に反応してしまっているだけかもしれない。ひょっとしたら、よく考えて物事を進めることと、たくさんの物事を考えることのバランスがボクのなかで崩れているだけのことかもしれない。

(写真は野外民族博物館 リトルワールド(愛知県犬山市)にて撮影。 Oct. 17, 2015)

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