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視界不良、”clear”というアウトライン

視界不良、”clear”というアウトライン

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濃霧の山や、雪山で吹雪に見舞われて自分の現在位置がわからなくなったとき、動かずに天候の回復を待っがいいという話を何かで読んだことがある。視界がない状況では方角を得るための目標物を見つけることができないし、そういう状況で仮に歩き始めたとしても、同じ場所をぐるぐる回っているだけになるらしい。

ひょっとして、今の自分はそんな状況なのかな?

そうはいっても日常生活は吹雪の雪山でもなければ、濃霧に見舞われた山でもない。

視界良好、目標物(または障害物)多数な毎日が繰り広げられている。

歩かなくてはならない。歩き続けなければならない。

しかし、そうして得られた結果はもちろんしっかりと成果として認識できるものもあるが、存在感が大きく残るものは疲労である。

腰を据えて考えるには、それほど大したことではない。一方でほかっておいても何も変わることは何もない。

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今しなくてはならないことは、無駄に動き回ることではなかった。 吹雪の雪山でそうするように、同じ場所にじっとしていてよかったのだ。

ただし、ただ佇んでいるだけでもいけない。

吹雪の雪山で同じ場所にじっとしているときでも、体温を失わないようにしたり、荒天が長引くことを考えて食料の計画を変更したりと考えながら、同じ場所でやらなくてはいけないことはたくさんある。

それと同じことだ。

やみくもに動き回るのではなく、じっと同じ場所でやるべきことがあった。 できることがあった。

clear

書き出すことだ。

ただそれだけ。

少しだけ違うのは、clearというアウトラインのトピックを、いつものアウトライナーのファイルに追加すること。 そのトピックの下に、思いつく言葉、文章、文節を、何の脈略もなしにただ並べるだけ。

書き出すことだ、といったが、書き出すよりももっと低くてちっちゃなハードルを跨ぐだけだ。 それができるのが、アウトライナーだった。

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人は見た目を気にする。

誰にも見られないこととわかっていても、自分自身が気にしてしまう。

紙に同じことを書き出そうとしてみたが、ここしばらくはずっとできなかったことだった。 だって、紙に書かれたものは誰が読んでもわかるようになっていなくてはならないという固定概念があったから。

それがアウトライナーになった途端、できるようになった。

なぜなら、アウトライナーは常に未完成のものなのだから。

アウトライナーで書かれた文字や文章は、完成品としてアウトライナーのままで表に出るものではない。 WordやPages、はたまたこの記事のようにhtmlでマークアップするという、仕上げ作業はアウトライナーではできないことだから。

文章を書くというよりも、文字を置くことだけでもいい。

思考のプロセスのきっかけを見つけ出す。

それは文章として、論理的なものとして完成している必要などまるでなく、もっと手前のところで何を思考したいのかを見つけ出す作業。

そこには文章なんて格好いいもなんて必要ない。

やみくもに置かれた言葉の中から、思考したいものを見つけることが目的なのだから。

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