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2014年に出会った本たち #mybooks2014

2014年に出会った本たち #mybooks2014

R-Styleの@rashitaさんが呼びかけている今年のびっくら本企画、#mybooks2014。最近は本に関することをほとんど書かなくなっているので、これを機にたまには本の話題もとりあげてみたいな、という感覚で応募(?)します。

読書2014まとめ

今年は総じてあまり本を読まなかった1年でした。なぜか?というと、単純にブラウザを見ている時間が多くなったために本に割く時間が減ったということだけです。つまり、メールの確認ついでについつい…、というアレです。ここ最近はちょっとした新しい計画、というか考え方を持ったのでそれはストップしましたが、その考え方を持つきっかけになった本が今回取り上げる今年のベスト4になっているのかもしれません。

#mybooks2014に選んだ4冊

情報の文明学 (中公文庫)

これまで抱いていた情報という概念を覆す1冊でした。ボクはいわゆる76世代(という分類に意味があるのかないのかは別問題として)ですが、これまで情報、または情報化という言葉から想像していたことは様々な処理をコンピュータにやらせること、そしてコンピュータからはじき出された結果が情報であるということでした。大学生時代から何らかの形でウェブサイトを持ち続けていた理由も、ざっといってしまえば個人の情報化にいつでも対応できるようにと考えていたからです。

本書のまえがきによると、梅棹忠夫が情報産業論という論文を初めて発表したのが1963年、昭和38年のことです。ここでは当然のようにテレビ、ラジオをはじめとした放送という情報業のことについてはもちろんのこと、その機器や技術の発展についても触れられています。産業という概念は1次から3次、すなわち農林水産業、鉱工業、商業・運輸・サービス業の3つに分類されます。それに対応する形ではなく、梅棹忠夫独自の産業の三段階を提唱し、農業の時代、工業の時代、精神産業の時代と分類し、情報産業は精神産業であると定義することを試みています。梅棹忠夫はこれを生物学の言葉を用いて内胚葉産業の時代、中胚葉産業の時代、そして外胚葉産業の時代とも読んでいます。

外胚葉は感覚や神経系の器官です。情報産業は見る、聞くに始まり肌で感じる寒い、暖かいといったことまでをも情報として捉えています。情報産業論への補論という章では五感の産業化として音楽、放送は聴覚にうったえる情報、映像については視覚にうったえる情報として定義しています。面白いのは食べ物も情報産業の1つだという点です。人間が生命活動として栄養を補給する食とは別に、味、つまり味覚は情報であるとし、それが食料という媒体に乗せられて口にしているという考え方です。

本書は情報産業論、情報産業論再考といった短編の論文を積み重ね、書名となった情報の文明学では情報の蓄積と拡散、工業製品の情報化といった話題にふれ、最終章である情報の考現学ではブランド名の入ったTシャツを購入することはTシャツそのものの購入に加えて、ブランド名という情報を購入していることであり、またそれを着用して街を歩くことは人間自らが情報の発信者としていることだと定義し、人間は情報を発信者になりたがっているとしています。

このように、普段の買い物は文字どおりモノを買っているという考え方から、同じ目的を達成するモノを購入するその選択には情報が関わっていること、むしろそのモノに乗せられた情報によって生活が成り立っているのだと考えると、これまで抱いていた情報という言葉の概念を覆させられずには入られません。そして、日常の立ち居振る舞いそのものが情報なのかもしれないと考えさせられる1冊です。

知的生産の技術とセンス ~知の巨人・梅棹忠夫に学ぶ情報活用術~ (マイナビ新書)

情報の文明学と同じく、梅棹忠夫によって著された知的生産の技術という本があります。この本は梅棹忠夫自身が情報といかにうまく向き合うように思考錯誤した結果が綴られた本ですが、それを今の時代に合わせて再考を試みたのが知的生産の技術とセンスです。

本書では梅棹忠夫が知的生産の技術で試みたような京大型カード、小さい紙片とホチキスを用いたコザネなどをEvernoteや様々なウェブサービス、アプリで行うことを紹介している点で、現在版の知的生産の技術と言ってよいでしょう。

しかし、本書の特筆すべき点は方法論の更新に終わらず、三曲モデルを提唱したことが最大の特徴です。三曲モデルとは何をインプットするか、何をアウトプットするのか、そのアウトプットに対して何を付け加えるのか、この何を付け加えるのかが発信者のセンスであり知的生産のシークレットソースであるとしています。そして三曲モデルを循環させること、特に個人のセンスの部分へアウトプットをフィードバックさせることで個人のセンスをますます磨き上げることが大切だとうったえています。

日頃を省みると、自分の行動はこれまでとってきた行動のリサイクルになっていないかと気になります。今までこうやってきたからではなく、今までこうやってきたことを自分にフィードバックさせて、さらにいい方法を考えて行動してみる必要があります。これは日常生活において惰性を防止し、むしろ日常生活からも新しい行動を発見できる、そしてそれを行動に移すことがアウトプットに他なりません。私たちの経済活動の多くは自らが何かを作り出した実物の交換で成り立つものではなく、情報のやり取りで成立するものがほとんどです。そして取り扱われる情報の多くはもう既に存在した情報ばかりです。そこに自分のセンスによってどういった新しい情報を提供することができるのか。日常生活だけではなく、ビジネスにおいても同じことが言えそうです。

銀行問題の核心 (講談社現代新書)

バブル崩壊以後、貸し渋り、貸し剥がしなど何かと社会問題に取り上げられているのが銀行です。その原因の1つに、情報の機械処理化、つまり本部に決算書を送ればなんでもかんでも答えを出してくれます。ナントカ比率、ナントカ回転率といった計算は電卓を叩けば簡単に弾き出すことができますが、そんなことやらなくても翌日にはパソコンで画面を開けば全ての答えが出ています。

担保至上主義を肯定するわけではありませんが、ボクが会社に入った頃は毎年9月になると一斉に担保評価のやり直しを手作業でやっていました。国税局が出す路線価の掲載された電話帳のように分厚い本から該当場所を探し出し、その年の路線価を元に担保の再評価を行います。この作業によって担保評価の方法を覚えますし、それ以上にこのお客さんはこんなところに土地を持っているんだということが自然と頭に入ってきます。しかしこの作業も今はほぼ全自動です。

これらの機械処理化で何が起こったか。以前はこれらの作業で情報をお客さんからもらい、自分で電卓叩いて数値をはじき出しその結果をお客さんのところでまた情報としてフィードバックするという流れのちょうど真ん中、自分で電卓叩いて数値をはじき出しがなくなったので、その後ろのその結果をお客さんのところでフィードバックすることができないようになってしまいました。すると担当者の仕事はお客さんから情報をもらうことだけになり、それを元に新しい情報をはじき出してお客さんに提供するということができなくなってしまったのです。もちろん、機械がはじき出した数値をお客さんに提供すればよいだろ?となるのですがそうは問屋がおろしません。計算をしたことがない人に、答えの数字の意味がわからないのでその情報をお客さんに提供することができません。知的生産の技術とセンスで取り上げられている三曲モデルが金融機関の職員にとっては破綻しているのです。

本書は元銀行員と、元検事の方のお二人の対談ですが、ちょうどこのようなことをおっしゃられています。

郷原:そういう意味では紙の上の決算書の数字だけでは中小企業のことはわからない。銀行と中小企業の関係はそれだけではないということですね。

江上:ええ、そうなんです。(中略)ところがだんだんデータが整備され、バブル崩壊後、金融監督庁(2000年に金融庁)もできて、マニュアルの厳格運用、不良債権処理などで、貸し剥がし・貸し渋りの時代になり、銀行が中小企業に貸さない時代を経ると、今度はお客さんがなんでも書類を出さないといけない時代になってきた。そのデータを銀行のコンピュータに入力して、でてきたデータを見て判断するようになった。

郷原:それを突き詰めていくと、融資担当の銀行員なんて最後はいらなくなりますね。

江上:実際にそうなっている。コンピュータが代わりにやっています。(以下、略)

お客さんからの情報は数字だけではありません。その日その日で異なる語気からも受注の状況を得ることができます。この人からこういう話が出てきたってことは順調なんだな。逆に、この話が出てきたってことはちょっと厳しいのかな。トラックの出入りや工場の音のうるささからも情報は得られます。このようなことは、実際に自分の目で見たものと、手と頭を使って計算したものを突き合わせてみて疑問点があったらそれをぶつけて次の情報を得るという作業の中から生まれる情報です。データの整備、機械処理によって手と頭を使って計算しなくなった結果、それらの突合ができなくなった銀行員は本当に伝書鳩同然で(ブラックジョークのつもりでよく口にするんだが、場合によってはパワハラになるかも?)、郷原氏が言うように、最後は銀行員はいらなくなります。

この本はタイトルこそ銀行問題の核心となっていますが、実のところは銀行員の核心でもあります。ボクのように古い人間は当たり前のように手作業とお客さんの雰囲気で実態をつかむのが当たり前のことですが、手作業を経験していない若い人たちにとっては本当にコンピュータに取って代わられる切実な問題です。先んじているボクたち年長者がどのようにコンピュータ世代を引っ張っていくのか。それ自体も三曲モデルでトライアンドエラーの毎日です。

ソーシャルマシン M2MからIoTへ つながりが生む新ビジネス (角川EPUB選書)

サブタイトルはM2MからIoTへ つながりが生む新ビジネスです。M2MはMachine to Machineですのでどういうことかわかりますが、IoTはよくわかりません。調べてみるとIoTとはInternet of Things、モノのインターネットのことだったのですが、モノのインターネットとは一体なんなんだ?

インターネットはネットワークは回線だが、それにアクセスする端末はすでにモノではないか。端末というモノがインターネットに接続できるからボク達はインターネットを使っているのではないか。そんな感じで一体なんのこっちゃ?と読み始めた本になります。

そもそもM2Mという概念があることを知ったのもこの本です。当たり前のようにPCというマシンの前に座り、キーボードからエディタへ文字入力し、サーバというマシンへ送ってインターネットに乗せる。毎日(ではないが)あたり前のようにやっていることにM2Mという概念が作られているなんて、今更言われてもピンときませんね。

そして本書はサブタイトルにあるようにM2MからIoTへですので、さらにもう一歩先の世界を覗くわけですから、余計に理解するのに難儀しました。正直なところ、まだボク自身の言葉にすることができないのでわかりやすいところを引用してみましょう。

(前略)これはインターネットに接続されたテディベアで、離れた場所にいる家族同士が、テディベアを「ハグ」する(抱きしめる)ことでコミュニケーションできるというものだった。一方のテディベアをハグすると、その信号がコミュニティ上にあるもう一方のテディベアに送られる。するとそのテディベアの胸にある小さな明かりが点灯し、ハグを返してほしいことが示される。そしてテディベアを取り上げ、抱きしめると、「ハグが返された」ことを示すために2秒間の振動が発生する。

(中略)

人々はテディベアに偽装した、柔らかくて抱き心地の良いネットワークコンピュータに対して、非常に好意的な反応を示したのである。

ここで、テディベアは通信装置を持ったマシンであるわけですが、柔らかいテディベアからはマシンらしさは消し去られています。こうすることで、ネットワーク同士で繋がれたテディベアを解しながら、抱きしめる、抱きしめられる温もりに近い感覚を伝えることができます。

先ほども書きましたが、インターネットは端末を使ってアクセスするものです。しかし、テディベアはマシンらしさが抜かれていることで直接インターネットに接続していることになります。そして、ボクたちがインターネットに接続して何かをしたいと思うのではなく、テディベアを抱きしめるとそれが相手方に伝わって抱き返してもらえてそれがそれが伝わってきます。現在はインターネットは手段と目的が分かれています。抱きしめたいという目的さえあれば、そしてそれを実行すれば相手とコミュニケーションをとることができるのです。

今書きながらも、まだまだ自分の中でしっくりとした感覚が生まれてきません。それだけ、インターネットに接続するという感覚に変化をもたらした一冊でした。

まだ固まりきっていない感覚

さて、ここまで5冊を取り上げながら考えていたことは、すべての本に共通している点は誰かに何かを伝えることにあるような気がします。そして、情報という概念が覆され、抱きしめるということをも情報になるという感覚に、まだ地に足が付いていないようなフラフラした体感が残っている気がします。

思い返せば2014年は、多少遠くとも関心を持ったことへは足を運んでみることにしようと決めて始まった1年でした。これまで書籍やウェブといった間接的な方法でしか得られなかったことも、自分が動けば直接見ることができて、聞くことができて話をすることができる。それは思いの外難しいことではないのだとわかった1年だったといえます。

そしてここにあげた5冊を振り返ってみると、ソーシャルマシンを除けば自分が行動することのモヤっとした、まだはっきりと明確になっていない理由がなんとなくわかるような気がしてきます。

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