ある本の分野でよく見かける”たった5分でできる○○の方法”、とか”できる人はやっている○○術”という本。いつ頃からかこういう本を多く見かけるようになりました。
ある人が、この場合は筆者になりますが、経験したことや考えてとってみた方法というものはとても参考になります。なぜならば、その人がいろいろ考えたあげくにうまくいったことが書かれているわけですから。
そういったいわゆるビジネス書に分類されるような本も、以前はしっかりと練られたタイトルが付けられていたように思います。もしくは「私がやってきた・・・」というように、筆者の経験としてということがわかるようなタイトルになっていました。
ビジネス書アレルギー
いつからか汎用的なタイトルの本があふれるようになり、ビジネス書を選ぶことがとても難しくなりました。なぜならば、タイトルがどれも似たり寄ったりで、第一のフィルタである本のタイトルが機能しなくなったからです。ほんの2~3文字入れ替えれば、いくらでも本が作られそうなタイトルばかりです。その2~3文字に自分の欲している情報を求めるわけですが、ボクの場合は大体外れます(外れてきました)。
そうこうしているうち、その手の本が並んだ本棚には脚を運ばなくなりました。タイトルから探しても、目的のものが見つかりにくいので、行くのがイヤになったのです。
ビジネス書作家ってなんだ?
そもそもの疑問として、文筆業を専業としている人が、ビジネスのことを書物にするということの意味がよくわからなくなりました。
最初のうちは、なるほどと膝を叩くようなこともなくはなかったのですが、次第に作家さんの思いつきじゃないの?と感じるケースが多くなりました。なぜならば、その人は実際にそのようなビジネスをやっていないわけですから(少なくともビジネス書作家と名乗っている時は)。
そうすると、以前は会社なり事業としてなりビジネスをしていたかもしれないけれど、今はやってないのになんでそういうことが書けるのかな?という疑問が生まれます(疑問、ということにしておきましょう)。
翻訳書は、なるべく原題に近いタイトルにしてほしい
映画でもそうかもしれませんが、邦題にした途端に英語原題と全く違うタイトルになるケースはままあります。タイトルは原題を確認するようにしているのですが、全く違うもの、というかいかにも日本のマーケットにあわせたなというタイトルを見ると引いてしまいます。ひょっとして内容の翻訳も相当に日本のマーケットに合うように意訳してない?
こればかりは英語ができない自分に非があるとしか言いようがないのですが、でもそのための翻訳書であるわけですから。
脱線
翻訳はそれ自体が翻訳者の手を通して出てくるので、それ自体がまた原文とは違う文学であるという考え方もあるようです。
例えば、こちらはLeo Babautaさんのブログzenhabitsの記事、You’ll be OKを@ruu_emboさんと@akwordpieceさんが翻訳されたものを比べてみると、訳者のそもそもの文章の書き方であったり文章の習慣が出てくるのでとてもおもしろいです。
プログラミング言語であればここはこの処理、ここはこのループと直接的に扱えますが、自然言語を訳すことは、日本語で読んだ本を文章で説明しようと思っても全く同じ文章にならないのと同じように、翻訳も訳者が原書をどう読んだかで日本語の選び方が変わりますから違って当然、それがおもしろいところですね。
–脱線終了
それを承知の上で英語の読めないボクは訳書を買うわけですが、どうも日本用に煽っている文章になっているんじゃないかと疑心暗鬼でこちらもやはり足が遠のきます。
指折り数える程度で人生変えらるわけないでしょ?
ちゃぶ台をひっくり返すようですが、話の根元はここにあると思います。そんな簡単に人生がハッピーになるなんて、そんな単純なものではないわけです。もちろん、筆者の方は様々なことを繰り返した結果最終的には3つに凝縮された、という意味で指折り数えるタイトルになった可能性はあります。しかし、その凝縮の裏側にはとてつもない努力とか苦労があったはずで、そこの部分をすっ飛ばしてしまうような本のタイトルの付け方はどうなんだろうと思います。
それをゲームの攻略本のように、これをやればクリアできるよっぽい印象を与えるのもいかがなものでしょう。もちろん、そのようなところから得た情報で自分の行いを変えてみたらとてもスムーズにことが運ぶようになったこともあります。しかし、それをもって人生が変わったかというと、それはないです。
そんなところから、タイトルにあるような本にはあえて近づかない、近づけない状態になっています。でも、こういったタイトルで読んでみたい本もたくさんあるのは事実です。そんな偏見な眼を持たずにほしい本は買えばいいじゃん、といわれればそれまでなのですが、ただでさえ山積みになった積読の本棚を見ると、どうしても後回しになってしまうのです。
それって、読者にも本の著者さんにも、うれしい話ではないですよね。
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