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実物本の安心感はホンモノか?

実物本の安心感はホンモノか?

本を読む量に何か意味があるとは思いませんが、どちらかといえばよく読む方です。というよりも、仕事に関すること、それ以外にも自分に感心があることの情報を得るのに、質量ともに本が一番手っ取り早いと思うからです。

もちろん、一次情報としてはインターネットで検索もします。しかし、一次情報以上の情報は、インターネットでは出所(いわゆる出典)が曖昧なので、ツッコンだものの場合はやはり本に頼ります。実務的な専門書になれば法律の条文番号が出ていたり、判例が出ていたりしますので安心感があるのです。

そこまでではない情報にしても、どこかしら本の方が安心感があります。おそらく、編集者の目が入り、それなりに手が入れられて出版へGoとなっているわけですから。そこのところの安心感は、やはりお金を出すだけのものがあるとおもっていま「した」。

セルフパブリッシングにどう対応するつもり?

さて、この世はすでに編集者なり出版社の企画を通らない本が登場しています。いわゆるKDPに代表されるセルフパブリッシングです。これらの本は作者、筆者がダイレクトに電子書籍流通へだしていきますので、実物出版であれば概ね入っているであろう第三者の目が入っていません。もちろん、電子書籍市場へ流通させる前に、誰かに読んでもらったり、その誰かが専門家であったりするケースだって十分に考えられます。しかし、それが明記されていないことへの一抹の不安がどうしてもよぎります。

ならば、エビデンスのはっきりとした情報は実物出版で得ればいいだろうといわれれば、全くもっておっしゃるとおりです。ここ数年のうちに、電子書籍のシェアはどんどん大きくなっていくと思われますが、実物出版を凌駕するまでになるかといわれると、きっとそこまでではないような気がします。もっとも、実物出版と電子書籍が同じ日に発売されて電子書籍の比重が高まるということはあるでしょうが。

お金で買っていた安心感はホンモノか?

さて、先ほどボクは編集者の手が入っている実物出版は、その安心感はお金を出すだけのものがあると書きました。しかし、よくよく考えてみると、その編集者という人は一体何者なのか、今ひとつよくわかりません。筆者は奥付に経歴や出版歴が出ていますので、その分野についてどれぐらいの明るさであるのかがある程度わかります。ところが編集者さんは、筆者の謝辞のところで名前こそ出ているものの、これまでどのような本を専門的に扱ってきたのか、そもそもその分野に明るい人なのか、そういった情報は全くと言っていいほどありません。ひょっとしたらあるのかもしれませんが、ボクの前にはあまりない。そんな状態で実物出版は編集者の目が入っているから安心と思っていたものの、実際はそうではないのかもしれないと思うようになりました。

確かに、編集者の手が入ることで誤字脱字、文脈のおかしさ、てにおははしっかりと直されると思います。しかし、ボクたちが求めているものは、確かに誤字脱字がないのは当然ですが、それではなくて、書かれた情報が正しいものを求めているのです。編集者さんは、その情報に精通した人なのかって、今まであまりにも無頓着に考えてきてしまったような気がします。

やはり、判断は自分にある

間違えないで下さい。何も編集者さんを否定しているわけでもありませんし、ダイレクト出版を否定しているわけでもありません。ボクの中での認識を新たにしてみるというお話です。

ダイレクト出版は編集者なしだから情報があっているのかどうか、そこのところはあたらないといけないのかなぁと何となく思いつつ、そのての本はまだ購入したことがありません。しかし、編集者の目が入っている実物本も、実は同じで最終的にはそれがあっているのかあっていないのかは自分が判断するものなんじゃないかと思います(もちろん、受験参考書でそんなことでは困りますよ)。

どことなく安心感があった実物本。ちょっと目線が変わってきました。

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