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【自問自答】個人ブログで「改行=行間が広い」は「段落の最初は1字下げる」を代用しているのか

【自問自答】個人ブログで「改行=行間が広い」は「段落の最初は1字下げる」を代用しているのか

 梅棹忠夫さん著、「知的生産の技術」の10章、「原稿」を読んでいて気がついたことです。

 ブログを書くときに、段落を変えた後の行の最初は1文字あけないな、というのが今日の話題です。

知的生産の技術

 

わかい諸君の論文を原稿でよんで、手をいれる役をひきうけることがおおいが、まったく信じられないくらいおそまつな例がいくらでもある。例えば行をかえるには、一字さげてかきはじめる、ということさえしらなかったりする。(178ページより)

 この部分を読んですぐにあれ?っと思ったのですが、過去の自分の記事を確認してみても改行後に一文字あけるはやっていません。僕が敬愛している幾つかのブロガーさんのサイトを見てみても、やっぱりあいていない。
 これがいわゆるマスメディアになるとどうかなと思って見てみると、こちらは確かにあいているんですよね(日経新聞WSJ日本版IT Media)。
 この本は1969年第1刷の本ですが、今日まで45年間の月日で日本語の書き方が一般的に周知されることとして書き方が変わったのかというと、決してそうではなくて上記マスメディアのサイトでは一文字下げるをやっていますし、物理的な新聞も本もみんなそうなっていて書き方に変化があったわけではなさそうです。では、なぜ何も気にせず一文字あけないが普通に行われているかを考えると、それを読む側から一文字あいていないことに対して不都合の声が上がらないから、つまり読んでいて気にならないから、ということではないかと推測します。実際、この本で気がつくまで僕もまったく気にもしたことがありませんでした。
 そんなことをツイッターでつぶやいていたら、1字あける効果が縦書きよりも横書きのほうが効果が薄いのかもしれませんね、や、たしかに画面上では横書き•段落間1行空きが視認しやすい感じがします、といったリプライをいただいて、なるほど縦書きはウェブ上で考えたこともなかったので頭の中で想像してみると、縦書きで1行空いていても逆に気がつかなさそうですね。

1字空いているよりも、1行空いているほうが読みやすい?

  この記事は、とても読みにくいと思います。なぜならば、僕らが習った段落を変えた後の最初の行の1字目をあけた、だけで書いているからです。そう、段落を変えた後の行間を広くしていないのです。実際サーバに送って僕自身で試しに見てみましたが、相当読み苦しい第一印象になりました。窮屈な印象です。と同時に、どこからどこまで読めばいいんだろう?と書いている本人が思ってしまうぐらいですから、この記事がネットの世界に放たれた後、誰かがこの記事をクリックしても恐らく見た瞬間にブラウザのバックボタンをクリックされてしまいそうです。
 でも、これで文章の書き方としては間違えてないわけです。では、正しい書き方をしていれば、その内容に興味を持った方がこの記事を見て読むかというと、結してそうではありません。次の判断材料として、読みやすいかというハードルが待ち構えています。そうした場合、まずこの状態ではハードルを越えられそうにありません。ここまで約1,200文字ですが、このレベルでその状態ですから、少しものが変わってしまいますけど20,000文字程度といわれるメールマガジンのバックナンバーをウェブで見るなんて、考えただけで願い下げです。
 本来1字下げることで段落が変わったことをしらせるものが、画面で見るという条件下では段落の変更を知らせるのに不足するため、行間を空けることでそれを補完して読みやすくなってきたことと考えるのが自然な流れだったのかなと思います。

本と画面の違いは目との距離の調整ができるか否か

 ここからは普通に段落を変えた後の行間を広めにとっていきます。自分でも確認してみましたが、俄然読みやすくなりましたね。

 では、本だったらどうなのかを見ると、横書きの本でも段落を変えた後は1字下げているだけで行間を広くしているというのは少なそうです。ブログとは逆に、横書きの本というと途端にサンプルが少なくなりますのでそう言い切れるかというと疑問ではありますが。僕の持っている本の中では、仕事で使う専門書が数式を使う関係上と、決算書が一般的に算用数字で横書きということで、それに関する本は全て横書きです。なので、適度に図表やグラフが入ることで視覚的に窮屈感が和らいでいるという傾向もあると思います。

 そうはいっても見開きまるまる文字ばかりというページも相当数ありますので、ブログと同じように読む気にならない、ということにならないのはなぜでしょうか。

 それは、自分のその時の気分で目との距離や角度を変えられる本と、それがやりにくい画面の違いではないかと思います。更にいうと、見開き1ページに入る文字量はその本ごとに決まっているので、ペースが掴みやすいですが、ブログのように画面で見るものは基本スクロールがありますので、結局どれだけ読めばいいのかマウスを転がさないとわからないということが、最初の印象でべったり書かれた画面の文章を避けてしまわせるのでしょう。手にとってパッと開けばだいたいのペースが読み取れる本と、一番下までスクロールしないとわからないブログでは、グランドを何周すればいいのかわかって走り出す=ペース配分ができる、何周走れば終わりになるのかわからず走り出す=ペース配分がわからない、と同じようなことが言えそうです。

 その点、電子書籍はスクロールではなくて「めくる」ということができるし、目次でページ数がわかるのでペースが掴めます。これがなかったら、たぶん電子書籍は今成立していないと思います。

どこまで正しい文章の書き方を踏襲すればいいのか

 もちろん、段落を変えた後の最初の行は1字あける、それに加えて読みやすいように行間を空けるとしても、それ以外にできないこともあります。それは「、」や「。」を行の最初に来るときは前の行の文字数を増やしていれるという、禁則処理です。ワードプロセッサであれば設定でできてしまいますが、読む人の環境によって1行に入る文字数が変わるブログでは、流石にそこまで対応することができません。

 最初の引用を思い出して下さい。「原稿」の話なのです。原稿は印刷の設計書みたいなもので、昔はその原稿を元に職人さんが字を拾って並べて印刷機にかけていたわけで、職人さんがわかることが最優先です。そうすると、ブログのように原稿書いて、自分で編集して自分で最後の本屋さんに並べると同等の公開までを自分でやってしまう場合、そもそも原稿でないわけですからその必要がないのかもしれません。

 原稿ではなくて、完成形の文章として成立しているかいないかに重きをおいた場合、1字空けるか空けないかは、結局のところ読まれるためにはどうみせればいいのかの問題であって、そこに重きをおいた書き方がなされているかの工夫の範囲内で、何を細かいことを、という話なのかもしれません(そもそも、それにっこだわっていたらとても文章を書くのが苦しかった)。

そもそも論を始めておいて、最後はぶっちゃけかよ

 ここまで読んでいただいた方には大変申し訳ないのですが、1字空けるが正しいと決めたものはどこにもなくて、普通それぐらい知ってるよね、のレベルの話なのです。「」の使い方も、文章中の会話を入れる場合に使うと習ったと思いますが、強調したい場合とか会話に限らず文章の流れとここは違うよというアテンションに変化している感じもあります。文章中に文字の太さを変えるということも以前の印刷技術ではできなかったことができるようになっているわけですから、形式的なことにとらわれすぎることが、逆に伝えての気持ちをうまく伝えられなくなってしまっては文章を書いている意味がありません。

普通にやっていることに???の気持ちを持つこと

 僕たちは毎日の活動が全てどこかに書かれた規則に基づいて行っているわけではありません。自然の流れで、物心ついた頃にはそれが普通で考えたこともなかったということが誰にだってたくさんあります。しかし、そういうことにこそ改善できたり、一工夫することでもっと短い時間でできるようになったりとか、もっと楽しくできるようになったりすることがきっとたくさんあるはずです。

 それを探すことが第1目的になっては毎日が疲れてしまいますが、ときどき???と手を休めて考えてみると、今日よりいい明日がきっとでてくるような気がします。

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  1. “普通にやっていることに???の気持ちを持つこと”

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