睡眠障害を抱える身としては、最も恐れることは「朝、ちゃんと起きられるだろうか」といった不安がいつもつきまとう。実家暮らしをしていたときは、親が起こしてくれるという気がつかないうちの安心感があったことは否めない。実家を出て、新居を構えるときの一番の不安材料は「本当に自分一人で起きることができるだろうか?」であった。新居に移って3週間弱になるが、今の所その心配は杞憂に終わっている。なぜだろうか。
自分のことは自分に責任があるという意識の変化
しっかりとした社会生活が送ることができるか否かは、結局のところ本人の意識の問題に帰属するものではないだろうか。毎朝起きた後に、身体が動かなくなるという事態が発生しても、もう誰も手を出してくれる人はいない。
妻に持病については話してあるが、妻には妻の生活がある。お互いに助け合いながらとはいうものの、自分の生活の全てに助けを請うことはフェアではない。そこは自分で解決できるように、何らかの努力をした後での助け合いであるべきではないかと考えた。
考えたことが、そのまま意識の変化につながった幸運
ただ考えたことが、具体的な作戦もなしに行動に移すことができた今の自分は、幸運だと思う。
考えたことや思いが、そのまま実行に移すことができるなんてことはそうは簡単に問屋が卸さない。ただ、自分の場合はそれを乗り越えないと社会生活者としてやっていくことができなくなるという危機感は持っていた。それはもちろん実家を離れる前からあったわけだが、両親と生活しているのと、自分一人または妻と生活を作り上げていく上に置いては_無意識のうちに_最優先事項になっていたのだろう。
他にも実行したいことへの応用ができないか
先にも書いたが、考えたことがそのまま意識の変化、そして行動へ移すことができるなんてわずかな数しかないだろう。私たちは、そんな渦中の中を彷徨いながら生きているのではないだろうか。むしろそのギャップが頭を悩ませる大きな要因の1つになっていることも十分にあり得ることだ。
私が実現できた朝型への転身を、たの事柄についても実行できるには_つまりそれは考えたことが、そのまま意識の変化になるようにするにはどういう生き方をすれば良いのか。それを考えてTry and Errorしていくことを、楽しいことにしていきたい。
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