2015年3月20日付、日経新聞電子版の日経産業新聞 Editor’s Choiceに「ついに人工知能が銀行員に「内定」 IBMワトソン君」という記事が掲載されている。
リンク:http://www.nikkei.com/article/DGXMZO84596040Z10C15A3X11000/
記事によれば、緑のメガバンクがコールセンターのオペレータ応対業務にIBMのワトソンを導入するようだ。以前は圧倒的に対面取引く、電磁的取引は法人の振替や振込など限定的なものだった銀行業務だが(お客さんが来店する、銀行員がお客さんへ訪問する)、現在のようにインターネットバンキングが主流になりつつあり、法人に限らず個人でもそれができ、取引の内容も振込などに限らず定期預金や外貨預金、投資信託といったリスク商品までインターネットで扱うようになってきたので、コールセンターの業務知識の集積がこれまでのように階層化できなくなりつつあるのだろう。そこでワトソン君の出番になったわけだ。あらかじめ相当量のコールセンター取扱い事例を入力しておき、そこに学習機能を併せ持てば心強い。記事にもあるが、ワトソン君が出した5つの回答の中に正解が含まれていた確率は70%に満たなかったようだが、学習機能で情報を追加することにより正答率は80%を超えたらしい。
融資業務も狙われている
今はまだコールセンター業務への貢献のみだが、将来的には融資業務を支援することも検討されているようだ。融資業務は以前から取引先の決算データや取引履歴が蓄積されていることから、データは階層化されている。そこに階層化されないデータをワトソン君に与えてやることで融資の可否を検討する材料を提供できるようにしたいようだ。現在でも融資に関する取引先のデータは決算書を入力することでバックされるCRD(Credit Risk Database、中小企業信用リスク情報データベース)得点が返され、また金融検査マニュアルによる債務者区分や分類額などの定量的な分析は得られている。そこへ取引先の社長の人柄だとか生い立ちといった階層化できない情報を銀行員が加味しながら融資の審査を行っているのだが、それもワトソン君に入力することで加味されたデータが返されるといったイメージになるのだろう。
ご参考:一般社団法人CRD協会
http://www.crd-office.net/CRD/about/index.html
銀行員の出番はどこだ?
さて、担保主義などの批判はあれど、中小企業金融で大切なことは広い意味で社長の人柄である。その会社の市場とのコンセンサス、今後のその業界の展開予測、人脈、先見性といったものが大きな融資の判断材料となる。そしてそれを汲み取るのが銀行員の大事な仕事だ。人と人とのコミュニケーションで100%満足の得られる情報をとることは難しい。様々な点でバイアスもある。それは会社の社長にもあり、受け取る銀行員にもある。私が感じる、あの社長がこういう言い方をした時はこういうことだな、といったこれまでのコミュニケーションで培われた(お互いの)嗅覚のようなものは、間違いなくある。ただし、それが正しいのか間違っているのか、それの答えはあるはずがない。その答えがわかるコミュニケーションがあれば、それはコミュニケーションではなくてただのインフォメーションだろう。それがないから融資の判断は難しいのだ。
しかし、ここにきてワトソン君の存在感である。階層化できない、あぁだな、こうだな、といったニュアンスで汲み取ってきたものをワトソン君へ入力していけば、ワトソン君はどんどん賢くなっていく。そこに入れられる情報は(社長とこちらとお互いに)バイアスがかかったやり取りで得られたものだが、ワトソン君が「こいつがこういう入力をした時は、こういうことだな」と情報の入れての階層化されていないことまで分析できるようになったら、銀行員はただの情報の運び屋に成り下がってしまうのだろうか。
もし、銀行員が情報の運び屋になってしまったら(私はよくこれを「オマエは伝書鳩か!」と後輩に指導するが)、会社の社長とコミュニケーションをとることはできるのだろうか。これまで押したり引いたりしながら得てきたお客さんに関するある意味機微な情報を聞きだせるような能力を、銀行員は維持できるのだろうか。それとも、ワトソン君があれを聞いてこいといったことを聞きに行って、その答えに対し額面どおりの回答だけをワトソン君に入力して、そしてまたワトソン君に言われたことを聞きに行って、なんてことを繰り返すようになってしまうのだろうか。そう考えると、私らの居場所、銀行員としてあるべき姿のようなものはなくなってしまうような感じがして、なんだか鳥肌が立ってくる。もっとも、この恐怖は私の職をワトソン君に取られやしないかといった失業の恐怖なのかもしれないが。
私なりの考えっていうものが…
中小企業の社長さんと話をするときに大切にしていることは、そこに私なりの考えを付け加えることだ。もちろん市場の先行きは断定できないし、所属する会社としての見解であるものでもない。社長が言ってることは、私はこう考えますよ、とか、私はこう考えていますので社長の言っていることに同意します、といった I think that…、の視点を相当に入れている。そうでないと、社長と会話を持たせる自信がないし、必要な情報が得られる自信がない。もちろん人間付き合いなので、社長からあいつが言っていることはあまり役に立たんと思われれば取引は深くならないだろうし、少しでも耳を傾けてもらえたならば、社長も知らずと口元が緩くもなるだろう。
そういう判断をどこでしているかといえば、お客さんの目の前でである。その判断を誰に教えてもらったかといえば誰にも教えてもらってないし、その判断が正しいのかどうかはその場ではわからない。裏目にでることもある。会社に戻って社長から聞けた話を報告して次に聞いてくることの指示を仰ぐでは、そんな銀行員ははっきり言って役に立たない上に、そもそもそれでは時間的にも間に合わない。私が報告を受ける立場にあるときも、常に、で、キミの思うところはどうなんだ、ということを聞いている。逆にそう聞いて回答が出てこない場合には、注意を促す。伝書鳩になってはいけない、と。
ワトソン君が融資担当として優秀になればなるほど
銀行員にとってのまずは機械化、そしてネットワーク化、電子分析化によってもたらされたものは間違いなく時間であるが、それ以上に失ったものはその分析をする方法を学ぶ機会がなくなったということだ。データを送り込めば結果が出てくるけれど学ぼうと思えばいくらでも機会はあるのだが、残念ながら人間楽をすると(多くの人が)学ぶ機会など作らない。電卓叩かなくて楽になったわ、と思える人はその分析内容が分かっている人だから大丈夫だが、送り込むデータをもらってくるのが仕事になってしまった人は、でてきたデータを使うこともできない。これは今現実に少なからず起こっている現象である。データを使うことができない人は、そのデータをもとに社長と会話ができないため、データの裏付けを取ることが難しい。そこにAIのワトソン君が幅を効かせるようになったら、それこそワトソン君に同行訪問してもらわないとお客さんのところで会話をすることができなくなってしまわないか。こんな不安がよぎる。
ワトソン君が銀行員らしくなればなるほど、生身の銀行員は銀行員らしくなくなってしまうかもしれない。そうならないためには、ワトソン君に負けないように鍛錬しようと銀行員が自分を戒めないと難しいように思う。そしてワトソン君も銀行員らしくなるのであれば、銀行員を指導育成するのも銀行員の仕事だよということをコマンドとしてもたせておかないと、ワトソン君を使える人がいなくなってしまうような気がしないでもない。
コメントを残す