林修さんの講演記録第2弾。今回は親と子どもの「品(ひん)」のお話から考えてみましょう。
親の品は子どもの品
生物の中で、「固有名詞」を持つのは人間だけです(もちろん犬にポチと名付けるかもしれませんが)。固有名詞、つまり子どもの名前には親御さんの想いが数多く込められます。期待、想い、憧れetc.。そして字画、組み合わせなど、名前の鑑定なんてものもありますね。
とあるお母さんと娘さんの親子で、お母さんの品がとてもいい方がみえたそうです。そして、その娘さんも、年齢などはわかりませんが、お母さんの品の良さをよく受け継いだ感じのいい人だったそうです。
ところで名前の話に戻るのですが、この娘さんの名前、パッとみてすぐに女の子だとわかるお名前だったそうです。いわゆる○○子さんだったのでしょう。どこにでもよくあるお名前だったそうです。林修さんがそのお母さんに「とてもいいお名前ですね」といったところ、そのお母さんから「そうでしょ、すぐに女の子ってわかるでしょ」というようなことを言われたそうです。
みなさんにお子さんが生まれたときに、それはもうあれこれいろいろ考えて、それこそ字画から姓名判断からいろいろやってととても苦労されたと思います。ところが、人の個性は名前が決めるものではないのです。ここまでいってしまったら、これまでお子さんの名前で頭を悩ませた方に失礼かもしれませんが、名前にこだわっても仕方がないのです。
親は子の鏡
逆じゃない?子は親の鏡じゃない?と思われるかもしれませんが、違います。子どもさんをみていると、親御さんがどんな人なのかよくわかるそうです。よい例えではありませんが「親の顔がみてみたい」と同じことでしょう。
上司は親?部下は子ども? 自分は常に真剣であることを。
当然に大の大人同士の話になりますので、親か子どもかといった一方通行的なものではありません。もちろん血のつながりもありませんし、上司が部下の名前を決めることはできません。
しかし、品についてはあながち関係がないことはなさそうです。実際、新卒で入社したものはそのとき所属した先の人間から仕事を教わります。ここでは深く触れませんが、教えられるんではなくてみて覚えろ、といった獅子の親は崖から子どもを突き落として這い上がってきた子だけ育てるというような上司もいるかもしれません。
教える、教えないは置いておくとして、いずれにも共通するのは、部下は上司をみているという事実です。よくも悪くも自分に(場合によっては都合の)いいものを取捨選択していきます。その時に、周囲にいわゆる品のあまりよくない人たちがいたらどうでしょう。ここで言う品とは、あえて言葉遣いとか口調といったものに限らず、周囲にいる人たちの言動と考えてみてもいいでしょう。サラリーマンという組織に属するものはよほど概ね井の中の蛙ですから、その場でまかり通っていることが、外部では通用しないということは多々あることです。
しかし、それもみられています。会社に入りたての部下は自分が井の中の蛙になりつつあるということにまだ気がついていません。そうすると、周囲にいる人たちの言動が正しいことに思えてしまうのではないでしょうか。与えられた仕事に対する達成への意識、これは事務処理の進め方から営業ノルマに至るまで千差万別です。特に営業は社外に相手があることですから、思うようにいかないこともありますし、それに対してきつい口調で叱責されることも事実あります。私もそういわれたことがありいますし、そのように後輩へ対処することも多くあります。
そこには意図するものがたくさん入っています。しかし、子どもの名前と同様、表面上に表現されたことに名前のところで触れた個性、ここではメッセージと言い換えましょうか、それが伝わるかというと、それはひとえに受け取る側の聞き用ひとつですので、何ともいえません。
もののいい方、考え方、捉え方はまねしてほしいと思ってもなかなかうまくいきません。ところが、自分がうまく手を抜いているところだけはしっかりとまねをされています。もちろんそれは不正をしているわけではありません。私の中ではそれがショートカットでも、その手の抜き方がわからない人がやると横着にみられます。
覚えてほしいことはなかなか伝わらない、これが現実だと思います。では、どうすればいいのだろうか。それはただひとつ、いつも真剣に、真摯に仕事に向かう、但しそこに自分が無理をしていないことが必要です。普通にしていることが真剣で真摯に仕事に向かっている。それをやるしかないのです。
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