先日久しぶりにメディアマーカーに本を登録した。
棒グラフを見てみると、9月以降の読了冊数が著しく低下している。ボクは読了時にメディアマーカーへ登録するので、この間本の買い物を全くしていないかというと決してそうではない。むしろ本を買うペースとしてはかなり早かった方だ。
つまり、積ん読が相当に増えたことになる。
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これまでの間にも、本を買うペースは上がるけれど読む量が減ってしまってというアンバランスな時期はあった。今回はこの状態をなんでだろ?と思ったので、理由がいくつか思い付いた。
理由その1:通勤時間が短くなった。
それまでドア to ドアで1時間近くかかってきた通勤時間が、徒歩のみで10分ぐらいになったことがまずあげられる。もちろん、その結果は家に居られる時間は相当に増えたわけだが、なぜだかどっしりしている時にはボクの場合読書が進まなかった。
これは誠に贅沢な悩みなのだが、家の机にどっしり構えていると、何か作業をやらなくてはと考えてしまう。こうやってウェブに何か書いてみたり、仕事は持ち帰れないけれど会社で使ってみたいExcelのシートの構想を練ったりするのがこれまでの家での時間だった。
通勤時間が短くなって自由な時間が増えたから、どうしても作業の開始までの時間にボーッとしてしまう時間が増える。もうちょっとだけボーッとしていてもまだまだ時間があるな、と考えてしまうので気がつけばそろそろ布団に入らなくてはという時間になってしまって、作業が進まない。
その作業に関する本を読む時間も短くなるわけで、実務系の本を読み進める時間も結果的に減ってしまった。
理由その2:もともと偏っていた読書時間
通勤時間にはもちろん実務系の解説本を読んだりもしていたが、メモが取りにくい通勤電車の中ではどちらかというと小説やエッセイなどの(ボクの中では)エンタテイメントな読書をする時間だった。
徒歩のみの通勤になってしまったので、その時間はごっそりと失われてしまった。
もちろん、その分の時間は家にいる時間が増えたわけであるが、エンタテイメントの要素の大きい読書は移動中に読むという住み分けができなくなってしまったのでこの手の本を読む機会がぐっと減ってしまった。相対的に増えてくるのは実務系の読書になる。
理由その3:アンバランス
その結果、読書のバランスが相当に崩れた。
電車の中では楽しみにしている本を読む。
家に戻ってからは実務系の本を読みながら作業の方法を変えてみたり、新しい作業方法を考えたりしていた。
それが急に楽しみにしている本を読む時間がなくなってしまったので、どうしても実務系の本を読む時間が増えることになる。わがままなことかもしれないが、今までのペースがそのまま残っていることに気がつかなかった。そうすると家で実務系の本ばかり読んでいることに飽きが来て、それらの本を読む時間が自然と減っていった。
それと同時に、たまには楽しみにしていた本を読むということに時間がうまく振り返られず、読書量そのものがどんどん減っていった。
理由その4:仕事内容の変化
昨年2015年はなんでこんなにコロコロ変わるんだ?と思うほど部署の異動が多かった。10月からの仕事はこれまでも支店勤務でやっていたものでもあるが、本部の専門部署になるためどんな問い合わせにも返答出来るように仕事関係の読書を増やそうとした。
それはそれで新しいことを身につけることに楽しさはもちろんあったが、慣れない法律関係が中心となった読書は若干苦痛にも感じペースが相当に低下していった。
理由その5:アウトプットの減少
読書をするというインプットの時間が激減したので、考えるという行為も激減したように思う。もちろん、仕事関係の読書は日々の仕事では十分に活躍したが、それだけではどこか物足りなかった。
専門的なインプットに偏り、それも絶対量としては減ってしまったインプットに陥ったため、アウトプットに結びつけることがうまくできなくなっていた。目詰まり状態とでもいうのだろうか。
振り上げた拳の落としどころが見つからないというわけではないけれど、アウトプットがうまくできないことは相当なストレスでもある。
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ストレス(というほどのことではないだろという意見もあるだろうが)を抱えながらでは良いインプットは行われない。良いインプットが行われなければアウトプットができるわけもない。
この悪循環はなぜかボクを焦らせた。こんなことではいけない…。
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好きな作家さんのエッセイ集の新刊が見つかったので、家でその本を読んでみた。
その作家さんの本は家でも読む習慣があった。そのエッセイは小説を書くために取材に走り回ったときのことが詳細に書かれていた。
読者にその場の情景をわかりやすく伝えるには、その地に行ってその地の人たちと話をし、その地の食べ物を食べることが小説を書く上でとても大切なことだと何度も書かれていた。
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ハッとさせられる。
今はかなりな悪循環になっているが、好循環に持っていくにはどこから手をつければいいのかと考えるのはどこか違うような気がした。
焦ることが真っ先にあったが、焦って好循環はこれまでのところ生まれなかった。
それよりもまず意識しないといけないことは、ただ単に好循環になりたいと思うことが最も大切な意識だということだった。
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