慣れない環境に身を置くと強く感じる疲れやストレス。これ、一言で簡単に「疲れた」とか「ストレスがたまる」っていう言い方をしますが、もう少し複雑に感じ取っているんじゃないかなと思います。疲れやストレスはできれば避けたいものでありますが、お互いが相互に影響し合っているのもまた事実です。
「疲れたのに仕事が回ってきたから、それがすごいストレスだった」。「なんだかストレスが溜まってきて、最近すごい疲れる」。こんなことを気にしていること、ありませんか?
疲れを、2つに分けてみた
まずは、身体が疲れたというもの。1日じゅう立ちっぱなしで疲れちゃった。今日は伝票倉庫の整理をしていたからなんだか疲れたな。この手の疲れです。いわゆる、「疲れたー」ってヤツですね。
次に、頭が疲れたというもの。今日は難解な交渉ごとが多かったから疲れた。どうやって営業成績をあげようか考えていたら、なんだか疲れちゃった。この手の疲れたは、もちろん疲れたことに違いはないのですが、上にあげたいわゆる疲れる、つまり「身体が疲れた」とはだいぶ違うんじゃないかと思います 。
なんで2つに分けてみたかというと
疲れたといっても、すぐに寝られるものではありませんし、身体を休めても疲れがとれないときってありますよね。家に帰ってきて椅子に座ってボーッとネットを見ていれば疲れがとれるときもあれば、そうでないときもあります。
5年前に職場異動があったときに、とにかく楽しかったのですが4年ぶりの営業店復帰でしかもシステムが総入れ替えになっていて、昔取った杵柄が使えない 状態がありました。ちょっと難しいオペレーションでも「フン、フン、フン」と流れをつかめばパッとオペレーションコードが思い浮かんだのも今は昔。流れをつかんでもオペレーションコードが出てこない。そもそも、以前のシステムで使っていたオペレーションと同じ流れでコードだけ変えればいいのか、それとも同じ流れが使えるのかもわからない。そんな状態が慣れるまでの間しばらく続きました。
流れがつかめないとか、つかめてもそれをどう手を出していいのか考えるのは、内勤で狭い社内に閉じこもっている職場でも妙に疲れました。そんなときでも、仕事終わりに遊びに誘われれば別に断るほど疲れていない、要は身体は疲れていなかったので、断ってとにかく家で早くゆっくりしたいとい う感じはありませんでした。
身体は疲れていないけれど、何か疲れたという感覚
家に帰ってきて疲れているけれどすぐに寝られない。かといって本を読んだりということに楽しさを感じられるほどの余裕はない。ボーッとテレビを見ていても止まらない。ふとそんなときに、飲みに行った日はすぐに寝られるなということを思い出して、家に帰ってからビールを飲むようになってしまったら…。
それこそ止まらなくなりました。いや、もちろん最後は寝られるんですけど、寝るまでビールを飲む状態が日常になったんですね。
頭の疲れと身体の疲れを均衡させること
両方の疲れの均衡が図れないと、眠るのって難しいんですよ。本当に。当時それに気がついて、身体の疲れを頭の疲れのレベルに合わせるのにもっと身体を動かしたりしていればよかったんでしょうが、それがビールに取って代わられてしまったので、1年ほどしてそんな生活に破綻を迎えたことは知り合いには十分に有名なお話。
トレーニングの本なんかを読んでいるとよく出てくる言葉にワークアウト(work out)という言葉が出てきます。この言葉を聞いて、仕事終わりに頭の疲れに身体の疲れを均衡させるためにトレーニングするからワークアウトっていうのかなって勝手に想像していますが、 あながち当たらずも遠からずでありそうです。
なんでこんなことをわざわざ書いたかって?
どんなに嫌な思い出でも、意外と人って忘れてしまうんですね。4年前に破綻したことをまた繰り返しているここ数ヶ月。まずいなーと思いながらもなかなか止められない毎日だったのですが、ここ数日思い出した当時のこと。それを考えると、一人で部屋に閉じこもって寝るまでビールを飲むというのはやめておこうという気になったからでございます。
お酒は楽しくみんなで飲みましょう。
お後がよろしいようで。
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