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己を愛する 無理をしなくても成果が上がる「心の処方箋」作り方:酒井一太さんのお話から考えたこと

己を愛する 無理をしなくても成果が上がる「心の処方箋」作り方:酒井一太さんのお話から考えたこと

ブログFind the meaning of my lifeの酒井一太さん(@kazumoto)と、ブログLifehacking.jpの堀正岳さん(@mehori)とのの合同イベント「無理をしなくても成果が上がる『心の処方箋』の作り方」に参加してきました(3/30)。ここでは、お二人の具体的なお話の紹介よりも、私が感じたことを書くことでお二人のお話のエッセンスを紹介したいと思います。これは多大に私の感想ですので、お二人が意図していた捉え方とは違うかもしれません。あくまで私の感じたことということで書いていきます。(4/4:堀さんのお話をこちらに記しました)

私たちは自分一人で生きているわけではありません。そして、それが可能であるはずもありません。常に誰かの影響を受け、誰かに影響を与えている存在です。とりわけ労働可能年齢の我々は仕事と自己との感情のミスマッチに悩まされます。自分にメンテナンスをかけることに、後ろめたさや自責の念を感じることもあります。それは自分勝手ではないのか?

汝の隣人を愛せよーその前に

周りの人を大切にしましょう。お客さんのために全力をつくしましょう。どこでも普通に、あたり前のようにそういいます。いや、あたり前すぎてその真意はどこにあるのかを考えることがなくなっているほどに、そういわれます。私たちは常に隣人に気を向け、困っているときはその時に応じた助けを差し出します。言葉で伝える、行動として援助する、一緒になって解決方法を考える。隣人が必要としていることを、ひょっとして隣人が今これが必要だとまだ気がついていないものを差し出してあげるときもあるかもしれません。ところで、隣人を愛するのは私です。私は、私自身を放り出してまで隣人を愛さなくてはならないでしょうか。

己を愛する

自分自身は多少の我慢は誰でもききます。ちょっと無理をしてでも、隣人に手を差し伸べることもできます。しかし、ちょっとの無理がいつの間にかちょっとの無理ではなくなります。ちょっとの無理はその時々だけのちょっとも当然ありますが、積もっていくちょっとと2種類あります。ちょっとだけお昼の休憩を早く戻るのもちょっとですし、ちょっとだけ自分の仕事を明日にずらしてもちょっとです。積もり積もるちょっとでも、そのときその時はただのちょっとです。積もり積もってどうにもならなくなって、初めてやり過ぎていることに気がつきます。それまでは自分に起っていることに気がつかないものです。妙にイライラす、隣人との衝突が増える、何をやってもうまくいかない(と感じる)、このようなことが起きたとき、それでも隣人を愛さなくてはいけないでしょうか。そもそも愛することはできるでしょうか。

自分を愛する余裕、があればこそ

イライラしている、何をやってもうまくいかなくなったとき、隣人どころか自分にすら気持ちは向いていません。ひょっとして、気持ちを向けるということ自体に気がまわりません。自分のもてる器に入れられるだけの水を入れて、それをこぼさないように走り回っている状態です。水をこぼしてはいけないことに気が全ていっているので、自分のこと、他人のことなど目に入りません。どうすれば自分や他人に気が向くようになるでしょうか。それには、一旦停まるしかありません。停まって水面を一度落ち着かせる。そして器一杯になった水を、すくい出してあげなくてはいけません。次に走り回るときに、水がこぼれないことばかりを考えなくてもすむために。そうすれば、走りながらも自分へ、そして隣人へ気を向けることができます。

水をすくうことすらできなくなる前に

水をこぼさない方法は、実はもう1つだけ方法があります。走り続けることです。水は器の表面をくるくる回していれば遠心力が傾きを吸収してくれます。それには回し続けていなくてはいけません。そうなると自分に気を向けるどころではなくなります。スタミナが切れたとき、急に動きを止めれば水はそれだけでこぼれます。こぼれた水はすくうことが簡単ではありません。それどころか、もう元には戻らないかもしれません。水をこぼしてからでは遅いのです。なので、水をこぼさないために走り続けるこの方法は、結果として無意味を生みます。そうなれば、自分が動き回っていたことは一体何のためだったのでしょうか。

すぐに停まることができるために

水が一杯になってしまえば、すぐに停まることは水をこぼすことになります。水をこぼさずに停まるためには、水が器の表面いっぱいになる前に、すくい出してあげなくてはいけません。そのためには、まだ器に一杯になっていないけど、という自責の念が芽生えることがあっても一度停まって水の量を調節する。早めに水の量を調節する。そうすることが結果として自分をメンテナンスすることになり、隣人に手を差し伸べてあげる時間が増やすことができます。私たちは今目の前の問題を解決するためだけに生きているのではありません。今その時の生産性は少し落ちるかもしれないが、それでも停まって落ち着かせた方が次に動き出すために要する時間が短くなることに気がつかなくてはいけません。

水を減らす方法をもっていますかー気持ちのストレッチ

そもそも、水を減らす方法すら忘れてしまうほど疲弊してしまっているかもしれません。しかし、そうなる前に水を減らす方法を作り出さなくてはいけません。それが余裕です。では、どうすれば余裕を作ることができるでしょうか。水を減らす方法を忘れてしまうことを未然に防がなくてはいけません。そのためには、自分自身をフラットな状態にする必要があります。水がこぼれないように張りつめていて緊張をといてあげなくてはなりません。一度器を机において、気持ちをストレッチしてみましょう。これこそが、心と身体のメンテナンスです。人は楽しいと感じると気持ちに余裕が出てきます。水がすり切れいっぱいになる前に、動きを止めて楽しいことをやる。これは自分のために、この停止によって締切を過ぎるかもしれない、それでも止めてやる。それぐらい、楽しいことをやることで気持ちの余裕を持つことは大切なことなのです。

楽しいことっていわれても

余裕がなくなっている毎日を過ごしていると、楽しいことが何なのかわからなくなってしまいそうです。映画にいくことが気分転換だった、友達とあってしゃべることが気分転換だった。以前は何も気にしなくても楽しくできていたことも、時が経つといつの間にかやらないものになってしまったことは結構あるものです。そういったものを思い出してみませんか。そのなかで、すぐにやれることが何かないですか。子どものころはよくガンプラ作ってたな、と思い出したらガンプラ、すぐに買いにいって作りましょうよ。作っちゃいましょう。私も最近、「何か楽しいことない?」と人に聞いてしまうことがあったのですが、自分を振り返れば楽しくしていたこと、今やり始めての楽しめることはたくさんあるはずです。

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己を愛するがごとく、汝の隣人を愛せよ

汝の隣人を愛せよ、はその前に己を愛するがごとくという件が入ることを初めて知りました。自分のことを大切に思うことができない人に、隣人を大切に思うことはできないということでしょう。自分で自分のことを愛すること、これが人間関係のスタートなのだと感じました。私自身の体験として、自分が壊れたことが数回あります。現在も故障中ではあるのですが、ここ3ヶ月では仕事を選ぶように、そして2週間ほどはあれっ?と思ったときは仕事中でもしっかりと宣言をして休憩に入るように心がけるようにしていました。年度末近くの繁忙期に何を勝手なことをと思われるのではないかと最初は気をもみましたが、結果的にはより多くの後輩に関わることができ、そしてたくさんの案件に携わることができたと思っています。そしてその経験が、自分の器を大きくしてよりたくさんの水を入れられるようになることになります。私自身の成長なくして、隣人を愛する余裕は生まれない。隣人のためにも、まずは自分の調子を整える。それは壊れる前に、無理をしてでも。このことを念頭において、これからの時間の組立をやっていきます。

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  1. RT @takaki_co8ya4: 3/30に @kazumoto さんと @mehori さんの合同イベント 無理をしなくても成果が上がる「心の処方箋」作り方に参加してきました。今回は @kazumoto さんのお話から私が感じたことをまとめてみました。 http://takakikobayashi.com/2014

  2. 己を愛する 無理をしなくても成果が上がる「心の処方箋」作り方:酒井一太さんのお話から考えたこと http://takakikobayashi.com/2014… @takaki_co8ya4さんから

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